男子校
広島学院中学校
1956年(昭和31年)設立。市内では男子校唯一のミッションスクール。「他人のために尽くすリーダーの育成」という1つの教育の理想を共有。地域に根ざし、一人一人を大切にし、全員で向上する雰囲気作りを大切にしている。習熟度別授業は導入せず、チームワークを活かして、体育祭、文化祭、クラブ活動などに力を入れる。国会議員、官僚、大学教授、作家、医師など、数多くの著名人、知識人を排出。
修道中学校
1725年(享保10年)、広島藩第5代藩主浅野吉長が設置した藩校「講学所」を起源。教学目標は「知徳併進」であり、「学問の精神は物知りだけではいけない、人間器量の大成でなくてはならぬ(修道学園史より)」という強い主張が込められている。多彩な分野にリーダーを輩出し、特に政界、官界、財界、医療界で活躍する卒業生が多い。
広島城北中学校
1961年鯉城中学校開校(のちに「広島城北学園」に改称)。建学の精神として、「英才教育の徹底(日本のみならず海外をも視野に入れた大学進学をめざす中高一貫教育の推進)」、「道徳教育の徹底(個性が豊かで自分や人を大切にする姿勢を持つ良識のある青少年の育成)」、「錬身教育の徹底(質実剛健にして心身ともにゆたかさを自ら育もうとする青少年の育成)」の3つを掲げる。政治家、弁護士、大学教授、プロのスポーツ選手、文化・芸能など、数多くの著名人・知識人を排出。
女子校
ノートルダム清心中学校
1950年に創設。聖ジュリーの生き方を建学の精神とし、「心を清くし 愛の人であれ」を教育理念に掲げ、教育活動に取り組む。豊かな人間性と、確かな知性とが揃ってこそ、社会に真に貢献できる人であると考え、学習指導だけでなく、人間教育にも力を注ぐ。創立者マザージュリーの教育理念に基づく、6年間を通した体系的な教育プログラムである『MJ(Mother Julie)プログラム』を展開し、「感謝する心、学ぶ心、支えあう心、奉仕する心」を、さまざまな分野の学習を通して育む。国会議員、作家、アナウンサー、医者など様々な分野に著名人を排出。
広島女学院中学校
1886年に砂本貞吉が開設し、アメリカから来日した宣教師のN・B・ゲーンスによって教育の基盤が整備された。国際交流や平和活動に力を注いでおり、2006年、長年に渡る平和活動が評価され学校法人としては初の谷本清平和賞を受賞している。初代校長のゲーンス先生は「自分を愛するように隣人を愛しなさい」というキリスト教の教えに基づき、豊かな人間性を備え周囲や社会に貢献できる女性を育てるために情熱を注ぎ、生涯にわたって学院の発展に尽力した。この精神は広島女学院の理想として1世紀が過ぎた今も時代を越えて受け継がれ、生徒たちの成長を通じて表現されている。女優、声優、作家、アナウンサー、映画監督、国会議員、弁護士など、様々なジャンルに著名人を排出。
比治山女子中学校
1939年(昭和14年)開講。建学の精神・理念は、人間の生命の尊厳性と永遠性を基底として、現在を生きる私たち人間の生命は、久遠の過去から連綿と現在に至っていることに感謝し、これを未来永劫に向上発展させるべく、現在を精一杯生きるように精進する人間を育てることである。これは、前身である広島昭和高等女学校(昭和14年設置)第3代校長であり、学園の初代学園長である國信玉三の教育理念に基づくものである。
比治山女子のクラスには、桜・藤・松・竹など花や木の名前が使われている。このクラス名には、生物学者でもあった國信初代学園長の生徒への願いが込められている。
山陽女学園中等部
1929年(昭和4年)発足。現在では、付属幼稚園、山陽女子短期大学、山陽看護専門学校、広島歯科技術専門学校を擁する学校法人となる。ひとりの個性を尊重し、平和と奉仕の精神を持つ女性を育成することを理念として多くの卒業生を輩出し、地域の方々からは、90年もの間”さんじょ”の愛称で親しまれる。チームワークや集中力を高めるたくさんの部活動、ユニークな同好会があり、勉強と部活動を両立させ、それらの相乗効果で成長させていくことを大切にしている。
共学校
広島なぎさ中学校
1956年設立。2008年に「広島なぎさ中学校・高等学校」に改称。「教育は愛なり」という建学の精神のもと、一人ひとりの生徒に寄り添い、教育方針である「常に神と共に歩み社会に奉仕する」豊かな感性と人間力を身につけた人材を育てる。4つの教育目標「21世紀型高学力の養成」「国際性の涵養」「創造力の錬磨」「人間力の育成」を掲げ、新しい挑戦を、成長へとつないでいる。国内外の様々な自然・文化・人々に触れることで、多様な文化を持つ人々との共生、地球市民としての生き方を学ぶことを目指した「研修旅行」では、生徒たちに人・自然・社会とのつながりを捉え直し、世界での生き方を学んでいる。国際性の豊かな特徴を持つ学校のひとつである。
崇徳中学校
1875年開学。親鸞聖人のみ教えをもとに創設され、文武両道の男子校として社会に多くの人材を輩出してきた崇徳学園。現在も建学の精神に基づく伝統を守りながら男女共学化を推進し、さらなる進化をめざす。建学の精神は、「崇徳興仁・務修礼譲」。 親鸞聖人が「真実の教え」とされた仏説無量寿経の中に「崇徳興仁・務修礼譲」があり、学園創立にあたって、明治時代の本願寺門主「明如上人」から『善い行いを尊び(崇徳)、思いやりの心をおこし(興仁)つとめて礼儀を守り互いに譲り合う(務修礼譲)』という教えを賜り、これを建学の精神としている。体育会系の部活動がとても盛んで、柔道部は強豪として知られ、多くのオリンピック選手を輩出している。
近大附属東広島中学校
近畿大学の系列校である。近畿大学工学部が隣接するし、附属福山校の東広島校舎として1996年開設。1999年に福山校から独立したのち、近畿大学附属東広島高等学校となる。それに加え、近畿大学附属東広島中学校を併設。2013年、校名を「近畿大学附属広島高等学校・中学校東広島校」に変更し現在に至る。山陽本線(JR西日本)西高屋駅から約1.5km:徒歩約20~25分、路線バス約4~12分に位置する。校訓は、「人に愛される人、信頼される人、尊敬される人になろう」。教育方針は、「深い思索力、旺盛な探究心、高い学力を身につけた、創造的能力を持つ生徒を育てる」。近畿大学への推薦枠もあり、上位クラスでは旧帝大、広島大学への進学も盛んである。
修道大学ひろしま協創中学校
1941年(昭和16年) 私立「広島商業実践女学校」として開校。2015年(平成27年)鈴峯学園と修道学園の合併に伴い、「広島修道大学附属鈴峯女子中学校・高等学校」に改称。2019年(平成31年)「広島修道大学ひろしま協創中学校・高等学校」と改称し、男女共学化される。建学の精神は、「報恩感謝・実践」。「天地万物の恵によって生かされていることに感謝しよう。 そして、その感謝の気持ちを、日々の生活のなかで実践していこう」という趣旨である。教育目標は、「地球的な視野で考えて、地域社会と協創する人材(グローカル・イノベーション・リーダー)」を育成する」である。中国地方で最難関私立大学の一つ「修道大学」への入学推薦枠があり人気を博している。
AICJ中学校
2006年AICJ中学校開校。AICJは「Academy for the International Community in Japan」の略で、「日本における国際社会のための学校」という意味を持ち、英語教育に力を入れている。年間を通して生徒全員が英検を受験し、英検「米国大使賞」を受賞している。特徴は、国語・社会以外の教科の指導における積極的な英語の導入を柱に、コミュニケーション能力の養成してる。中1・2時には、希望者はニュージーランドでの語学研修の機会が与えられ、中3時には、希望者は成績優秀者を対象にニュージーランドに最大9ヶ月間の短期留学をすることが可能。また、海外の名門大学への進学を希望する場合は、姉妹校であるAIC高校(ニュージーランド)やAICJ高校のIB(国際バカロレア)ディプロマコースへの進学し、教育を受けることができる。
国公立
広島大学附属中学校
東京高等師範学校(1886年設立)に次ぐ、西日本の中等教育研究の拠点として設立された広島高等師範学校の附属中学校(旧制)として1905年(明治38年)に設立された。国立大附属高校としての歴史は古く、東の筑波大附属中学・高校と並び称されている。全人教育を理念としており、自由・自主・自律の校風の中で、個人の特性を向上させ、豊かな人間性を確立することを目標としている。学校行事をはじめ、生徒たちによる自主的な活動が多く行われている。政界、官界、財界、学界、医学界、マスコミ・文化・芸能界、スポーツ界などさまざまな分野に著名人を多く輩出している。
広島県立広島中学校
県立の中高一貫のモデル校として広島県が威信をかけて2004年に開校。開校時には、広島県全域から実力のある先生を集結させたという噂が流れる。校訓は「高い知性 豊かな感性 強い意志」。教育方針は、「6年間の計画的・継続的な教育活動により幅広く深い教養と高い知性を培い、グローバル化時代において活躍することのできる人材を育成する」とある。論理的思考力・表現力を養うための研究開発校として、中学校に「ことば科」を設けている。一時期、東大への推薦枠が日本一というニュースが流れたこともあったが、国立大学への進学が多く、全体の2割程度が広島大学へ進学する。入学試験では適性検査という私立には稀な方式を採用している。
広大附属東雲中学校
1875年(明治8年広島市白鳥町に広島県公立師範学校附属小学校が創立。1941年(昭和16年)現在の広島市東雲町に移転。1947年(昭和22年学制改革に伴い、広島師範学校男子部附属小学校と改称し、広島師範学校男子部附属中学校(新制)が発足。1951年(昭和26年)広島師範学校が廃止され、広島大学教育学部附属東雲小学校・中学校と改称。この学校は小学校、中学校はあるが、高校が無い。よって中学校を卒業するとそれぞれさまざまな高校へ進学する。広島大学によると、東雲小学校・中学校と三原幼稚園・小学校・中学校は広島大学の東広島キャンパスへ移転・統合させ、移転済の附属幼稚園を含め、広島大学附属東広島学園とすることが計画されているが、明確な期日は記載されていない。